ワシントンハイツ

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明治神宮のお隣、代々木公園の片隅に、古めかしい平屋が1軒寂しそうに建っています。これは一体なんなのか?調べていくと戦後から現代まで繋がる貴重な建物ということがわかりました。

代々木公園、原宿側から入るとすぐの場所に建っています

歴史を見てきた建造物

「ワシントンハイツ」この名前をすぐに理解できる人はどれくらいいるでしょう?

時は終戦直後の1946年まで遡ります。終戦を迎えるとかつての「陸軍代々木練兵場」が占領軍に接収され、そこにはアメリカの空軍及びその家族の為の住宅が建設されました。現在の代々木公園、代々木競技場、NHK放送センターがある広大な一帯に827戸の住宅とともに、学校・教会・劇場・商店・クラブ・グラウンドなどが併設され1940年代のアメリカを再現した街が作り出されました。それが「ワシントンハイツ」です。「日本の中の作られたアメリカ」の華やかで近代的な生活は、終戦直後の焼け野原で生活する日本人に豊かさへの憧れを強烈に植え付けたと言われています。

奥に見えるワシントンハイツと手前の日本人住居。
1946年、代々木練兵場跡地に建てられたワシントンハイツ。
敷地内にはプールも。戦後の貧困期とは思えない光景がワシントンハイツの中にはありました。

転機は東京オリンピック

半永久的にこの地に残るかと思われたワシントンハイツ。日本とアメリカの間で結ばれた条約の中で「無期限使用施設」にも位置付けられましたが転機が訪れたのは東京オリンピックでした。

1961年11月、開催が3年後に迫った東京オリンピックの選手村の宿舎として、ワシントンハイツの住居を改修して利用すること、更に国立屋内総合競技場(国立代々木競技場)の建設が決定されました。代替地(調布飛行場付近)の提供と移転費用の全額負担という条件が突きつけられましたが、ついに日本への返還が認めらたのです。 

建設途中の国立代々木競技場
選手村として機能したワシントンハイツ

オリンピック閉会後、ワシントンハイツは解体され、その後1967年(昭和42年)に森林公園の代々木公園となります。ほぼ全ての建物が壊されましたがオランダ選手の宿舎として使用された建物1戸だけがオリンピック記念宿舎として現在も残されています。いまでこそピカピカの柵に覆われているこの家は、石原(慎太郎)元都知事がオリンピック東京誘致を言い出すまで実にみすぼらしいボロ家として放置されていました。ただ、建設された1946年から東京オリンピックまでの18年間、誰が何の目的で、この家を使っていたのか。東京都が設置した札には、一切そのことが触れられていません。何故かは分かりません。

何故ワシントンハイツのことを書かないのか。歴史的に重要な建物であり重要な出来事だったと筆者は思うのですが…

ジャニーズ事務所の原点

日本を代表する芸能事務所「ジャニーズ事務所」の原点が実はワシントンハイツだと言うこともあまり知られていません。かつてアメリカ大使館軍事援助顧問団職員だった日系二世のジャニー喜多川氏はワシントンハイツ内に住み、近所の少年たちを集めて「ジャニーズ少年野球団」を結成。これが後のジャニーズ事務所です。日本のアイドルシーンを引率し続けるジャニーズ事務所もワシントンハイツがなければもしかすると生まれていなかったのかも知れません。

当時の面影を残してひっそりと佇んでいます。

ワシントンハイツの存在は図らずも渋谷の発展にとって重要な要素となりました。代々木や原宿周辺には外国情緒が漂い、表参道などにはこの時代には手に入りにくい海外の商品などが日本人でも買える場所として有名になりました。結果、表参道周辺には徐々に感度の高い人々が自然と集まるようになったと言われています。

表参道と同潤会アパート。奥に見えるのが明治神宮の森。その奥にワシントンハイツはありました。

戦争の副産物として生まれたワシントンハイツの存在は当時の日本人にアメリカ文化への憧憬と民主主義の啓蒙を植え付ける役割を果たしました。言わば「現代日本の原点」を作ったともいえるのではないでしょうか。

(写真:時事.アフロ.The Oliver L. Austin Images)

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