渋谷にいた文化人の碑-国木田独歩編-

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世界に名だたる大都会である渋谷。そんな渋谷にはかつて、文豪、画家、詩人など数多くの文化人が住んでいました。彼らは渋谷の自然や風景を書物や絵画に書き残し、今に当時の景色を伝えています。実は、そうした著名な文化人の住居跡や記念碑、また終えんの地などの碑を区内では見ることができるんです。

という事で、このコーナーでは渋谷にある著名人の碑を紹介していきます!
「えっ!この人も渋谷なんだ!」という著名人も出てくるかも。

第二回は国木田独歩住居跡をご紹介します!

NHK放送センターのすぐそばの通り沿いにある「国木田独歩住居跡」という柱が建っています。

明治時代の作家、国木田独歩は明治29年(1896)に歴史評論家の山路愛山の紹介でこの地へ移り住みました。この地を散策し、感じた事、見た事を日記にしたそうで、その日記は自然描写が大変美しい、代表作「武蔵野」の原案となっています。その武蔵野の冒頭には「自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた」と記されており、当時は渋谷が都心までの間に拡がる台地と認識されていた事を物語っています。簡単に言うと郊外だった、と言う事ですね。

また、「遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起る銃音(つつおと)」とも記されています。当時の地図を見ると国木田独歩の家の北には代々木錬兵場があります。銃を使った訓練が行われていた事がうかがえます。このように、武蔵野には当時の渋谷を回想させるような詩がいくつも書かれています。

そもそも、千葉出身の独歩が渋谷に移り住んだ理由は「失恋の傷を癒すためだった」と言われています。独歩の散策は、精神的にどん底だった自分自身と対話し、前を向くための散策でもあったわけですね。この事については、独歩の死後刊行された「欺かざるの記」を読んでみると読み解ける部分があります。ナイーブな気持ちの状態で書かれた詩、と考えると作品そのものの印象が変わってきますね。

代表作「武蔵野」も「欺かざるの記」も非常に描写が美しい作品です、筆者はこの二作を読み背景を自分なりに感じつつこの場所を訪れましたが、歴史に強く触れた感覚を得ました。

美しい自然があった武蔵野と呼ばれた渋谷はもうありませんが、歴史の断片はまだ渋谷にも残っています。お時間のある方は「武蔵野」を読んでから是非この場所にいらしてください、独歩が描いたあの頃の渋谷が少しだけ見えるかもしれませんよ。

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