渋谷にいた文化人の碑-竹久夢二編-

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世界に名だたる大都会である渋谷。そんな渋谷にはかつて、文豪、画家、詩人など数多くの文化人が住んでいました。彼らは渋谷の自然や風景を書物や絵画に書き残し、今に当時の景色を伝えています。実は、そうした著名な文化人の住居跡や記念碑、また終えんの地などの碑を区内では見ることができるんです。

という事で、このコーナーでは渋谷にある著名人の碑を紹介していきます!
「えっ!この人も渋谷なんだ!」という著名人も出てくるかも。

第一回は竹久夢二居住地跡をご紹介します!

東急百貨店本店跡から東急ハンズ方面へ向かう通りにあります。
現在はBEAMというビルの自転車置き場内にひっそりと佇んでいます。

竹久夢二は大正時代に日本女性の色気を最大限に活かした画風で一世を風靡した美人画家です。大正10年(1921)8月から大正14年(1925)1月まで当時の渋谷区宇田川町857番地に住んでいました。「夢二式」と呼ばれる独特な女性の絵型を創作し、それまで美しいと言われていた日本女性の描き方を一気に西洋風に変化させました。現代グラフィックデザインの先駆者でもある夢二は、この場所で「どんたく図案社」「一草居」の表札を出して画業に励んだと記録に残されています。お葉という美しいモデルの女性と過ごしていたそうです。

夢二とお葉
夢二式。大きな目は下品と言われ、切れ長の一重瞼が美人と言わた時代に革新を起こしました。

夢二とお葉が過ごしたこの場所にちなんで、現在この通りは「夢二通り」と名付けられています。非常にロマンチックに感じますが、実は夢二さん、大正時代を代表するプレイボーイでもあったようで度々世間をにぎわせたとの記録も残っています。この地に4年しか住んでいなかったのも恋多き人物であったことが理由だとか。

現在は繁華街のど真ん中と言えるこの辺りは当時住宅街で、隣には銭湯「月の湯」があったそうです。今からは想像もつかない静かな場所だったのでしょうね。  

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