渋谷区には沢山の地名があります。それらの地名を少し深掘りしていってみようというのがこちらのコーナー。第五回は「千駄ヶ谷」を解説します。
千駄ヶ谷は、渋谷区の北東部に位置し、地名や町名の他、駅名にもなっている街です。一言で街の特徴を表現すると「緑の多い街」でしょう。千駄ヶ谷の町域は、千駄ケ谷駅周辺から、北部は新宿駅南口付近、西部は代々木駅東口付近まであります。東京体育館、国立競技場、新宿御苑、明治神宮外苑、明治神宮などの施設や神社に周囲を囲まれている環境なので、渋谷・原宿・新宿がすぐ近くにあるという大都心でありながら、23区でも有数の緑が多いエリアなのです。
そんな千駄ヶ谷、何故「千駄ヶ谷」なのでしょう?
それはそれは昔の話、このあたりは見渡す限りの萱(かや・茅)野原だったと言われています。『新編武蔵風土記稿』には、寛永年間の頃、現在の新宿御苑内を水源とした渋谷川上流地区に位置した事で、たくさんの萱が生えていたこと、それを一日に「千駄の萱」を積むことから「千駄萱」と呼ばれ、後に「千駄ヶ谷」となった、と言われています。駄は馬に積む荷物の重さの単位で、とてつもなく沢山の萱が取れた事を意味します。1644年には千駄萱と呼ばれていたそうですから相当に長い歴史を持っていますね。萱は当時、耐水性に優れ屋根の原料となり、また家畜の飼料、畑の肥料なども使われる大変貴重な資源でだったと言われています。下の写真は新宿御苑内の萱です、今もたくさん生えています。
その他には、室町時代に江戸城を築城したことで有名な武将・太田道灌が巡視の際に、谷間に稲が千駄もあったことに由来する説やこの谷で千駄の木を焚いて雨乞いをしたことに由来する説もあるそうです。様々な説があるようですが、萱野原説がかなり有力だと有識者の間では認識されているようです。
とは言え、この千駄ヶ谷と言う名前にある「谷」は四谷の「谷」とも深く関わりがある説があり「萱」が「ヶ谷」に何故変わったのか?本当に最初は「萱」だったのか?なんていう討論が今も行われているそうです!真相はいかに。。。
次回もお楽しみに!