渋谷にはミスドがない!?山下達郎の「ドーナツソング」でも歌われた渋谷公園通りの歴史

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山下達郎のドーナツソングは公園通りを歌っている

皆さんは山下達郎さんの”ドーナツソング”をご存じでしょうか?1996年のミスタードーナツのCMソングで、店内のBGMとしても使われた「君とだけドーナツ」の軽快なサビが印象的な曲です。この曲の中には「ふたりドーナツショップさ 夏の公園通りが揺れる まるでカタパルト 燃える風と 転がる坂道」という歌詞があります。この公園通りとは、渋谷にある公園通りのことを歌っているのをご存じでしたか??今回はこのミスタードーナツ渋谷公園通り店と公園通りについて私見を踏まえながら歴史を紐解いていこうかと思います。

98年リリースの「COZY」に収録されていた「ドーナツソング」。曲自体は96年に既にCMでオンエアされていた。

渋谷にはミスタードーナツがない!?

日本全国で950以上の店舗数を誇るミスタードーナツ。ドーナツと言えばミスド!という方も多いのではないでしょうか?日本を代表する大都市の一つである渋谷にも当然ミスタードーナツの店舗はあると世間一般的にはイメージされているようですが、実は渋谷にはミスタードーナツが出店していません。歌詞に登場する公園通りがある都心部に関わらず、笹塚や幡ヶ谷といった住宅エリアにも存在していないのです。昼夜関わらず多くの人流がある地域としては非常に稀といえます。では、先述の歌詞内のミスタードーナツって想像上のものなの!?と言われるとそうではありません。2005年までは渋谷公園通りに存在していました。

ありし日のミスタードーナツ渋谷公園通り店。
現在はコロナ禍でテナントは撤退し空きビルに。

ミスド渋谷公園通り店の撤退には公園通りの盛衰が関わっている?

1960年代は渋谷公会堂くらいしか目立つものがないと揶揄されたこの公園通り。それもそのはず、この通りは代々木公園へも続いておりその代々木公園は1964年までワシントンハイツと呼ばれる広大な米軍の居住地でした。1970年の区役所完成により「区役所通り」と名付けられましたが1973年のパルコオープン時に区役所通りから公園通りへと名称変更が行われ(パルコとはイタリア語で公園、代々木公園まで続く道としての意味も込めて名称変更が行われた)同時に若者を中心とした人流の変化も起きました。パルコの誕生と成功は渋谷=若者の街というイメージのきっかけといわれています。80年代、その公園通りには有名なレコードショップや芸能人も通ったアパレルショップなどが数多く立ち並び日本各地から若者が集まったそうです。86年には世界的HIPHOPグループ「RUN DMC」もこの渋谷公会堂でライブを行い、公園通りは若者カルチャーの発信地として確固たる地位を確立していきました。識者の間では最も公園通りに人が集まったのは80年代という方もいるくらいです。ミスタードーナツ渋谷公園通り店が開店したのは1982年。エリアの隆盛と共にその知名度は上がり、国内でも屈指の有名店となりました。

パルコオープン前の公園通り。なんだかさっぱりしていますね。
ものすごい量の人。
2022年現在。

変化の兆しが見え始めた90年代

90年代に入ると渋谷を中心にカフェのブームが起こります。このブームの中でも公園通りは輝きました。もちろんミスタードーナツ渋谷公園通り店も。そして、先述の「ドーナツソング」の効果により、国内でも「特別なミスド」に変わりました。行列の出来るドーナツ屋さんの元祖と言えるかも知れません。当時人気のあったのはチュロやハニーチュロといった新メニューで多くの人がその味の虜になったそうです。が、カフェブームが終わる頃には若者中心の場所から落ち着いた場所へと変化していきます。そもそもカフェ文化が若者に限定された流行ではなかった為、幅広い年齢層の人が流入するようになり、ニーズに変化が生まれたのです。スクラップアンドビルドを繰り返し、観光スポットが次々に誕生する渋谷らしい展開ではあるのですが90年代中頃からは80年代の様子が息を潜めるようになります。

大人回帰が始まる2000年代、ミスタードーナツ公園通り店が閉店

2000年に入ると公園通りは街全体として「大人回帰」を目指すようになります。渋谷全体で遊んでいた子供たちが社会人になった時に対応できる街づくりを提唱するようになったのです。80年代は子供や若者が闊歩したエリアが街を上げて変化させようと舵を切りました。これは人流の減った公園通りが地盤沈下しなかったポイントだったのかもしれません。子供や若者向けの街から大人も楽しめる街へ。急速に開けていくジュニアマーケットと同時に20代後半~30代前半の大人が集う側面を持つ渋谷で生き残る為の判断は、渋谷中心街でも独自の発展を遂げるきっかけとなります。中でも2005年、Apple Store Shibuyaのオープンは、これまでの公園通りのイメージに一石を投じます。ファッションやカルチャーが中心の店舗が集まっていたこれまでの公園通りとは一味も二味も違う、大人化を目指す公園通りにうってつけのお店でした。この変化はミスタードーナツ渋谷公園通り店にも大きな影響を及ぼしたと予想されます。2005年にそれまでの店舗を閉店し、2007年に「アンドナンド」と言う大人向けドーナツショップをオープンさせました。(2011年閉店)ここで渋谷にあるミスタードーナツの歴史は幕を閉じました。移転しての再オープンなどもされていません。アンドナンドの閉店理由については詳細不明ですが、ミスタードーナツの名前がなくなったことには公園通りの方針も関わっているのではないか?と考えられます。

アンドナンド渋谷店。公園通り沿いですがミスタードーナツ渋谷店から少し離れた場所にありました。
アップルストア渋谷。現在も多くの人で混み合っています。オープンから数年後、iphoneの登場でさらに知名度を上げることとなります。

変化し続ける現在

2022年現在、公園通りは2000年台からの流れを汲みつつもパルコの改装オープンなどで新たな一面も見せています。区役所や、LINE CUBEと名を変えた渋谷公会堂など、60年代、70年代から引き継がれた歴史は新たなフェーズへと進みました。のんびりとしていた60年代から激動の2000年代まで渋谷で時間を過ごしたであろうどの年齢層の人も受け入れる懐の深い街として今も機能し続けています。山下達郎さんの「ドーナツソング」からミスタードーナツ渋谷公園通り店のお話と公園通りの現在までを取り上げましたが、まだまだ書ききれない深いお話もあります。それはまた次回!筆者も90年代後半から現在までの公園通りを知っており、かなり私感も入ったコラムとなりました。ファションからアート、音楽など文化創造の拠点として、さらに大きく進化していく公園通りに期待しましょう!

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