すり鉢のような地形の渋谷。坂が多い渋谷の街で、よく見かけるのが抜け道のような小路や階段です。地形として多くあるのは納得ができますが、どうも円山町のものは一癖あるそうで、その階段は“芸者階段”と呼ばれています。
普通の階段との違い、みなさんご存知でしたか?
道玄坂上交番の脇道、裏渋谷通りを進んだ円山町エリア。この辺りは地形の関係で高低差があり、建物の入り口や路地にたくさんの階段があります。
そんな円山町は、今でこそナイトクラブやライブハウスなどが栄え若者の街となっていますが、明治初期に花街が生まれ、多くの文化人や著名人が足繁く通った歴史ある夜の街なんです。
全盛期とされる大正時代末期から昭和初期には、芸者総数が400人を超えていたと言われています。今では料亭が一つ、芸者さんも数人にまで減ってしまいました。
しかし今も尚、その花街の面影を残しているのが“芸者階段”と言われる、下駄を履いた芸者さんでも歩きやすいように一段一段が低く作られた階段です。多くの芸者さんが下駄を鳴らしながらこの階段を登り御座敷に向かったといいます。その時代の風情が色濃く残っている円山町の芸者階段。今は花街時代のまちの様子を伝える貴重な史跡となっています。
今では、ビジネスマンのランチ街として栄えているこのエリア。昼時はみんなの一息着く場所として愛されている様子です。
この日も少し歩きにくいこの段差を、たくさんの革靴が颯爽と駆け抜けて行きました。
花街の情緒がそのまま残された唯一の料亭「おでん割烹 ひで」。こちらでは今も円山町伝統の芸者遊びができるとのことで、一度は行ってみたいお店です。
お店に芸者さんが訪問する際は、階段を使っているのでしょうか。もしそうだとしたら、史跡というにはまだ早いのかもしれません。
見つけたら、花街に想いを馳せながら登ってみたくなる“芸者階段”でした。