100年に1度の再開発と騒がれる渋谷には「渋谷ヒカリエ」を筆頭に「渋谷ストリーム」「渋谷スクランブルスクエア」等たくさんのビルが建ち並び、ITを軸に外国人や移住者をターゲットにした新たな街づくりが始まっています。
そんな街の動きにも動じず、渋谷の象徴として変わらない姿を見せるビルが「SHIBUYA 109」。平成の渋谷を若者の街 へと発展させ、その聖地となり数々の流行、伝説を作り上げました。
今回は道玄坂共同ビル「通称SHIBUYA 109」の共同オーナーであり、三丸興産株式会社 代表取締役である吉岡久仁夫さんにお話を聞いていきます。
地道な努力から生まれた109旋風
「三丸の歴史は1917年に東京の深川で創業。紳士服などを販売していたけれど、戦争の空襲で焼けてしまって、ゼロからやり直すのにいろいろ検討してダメージの少なかった渋谷に移転、それが1948年。ちょうど今の109の入り口正面辺りに店を構えて、紳士服や雑貨、子供服の販売をしていたのが今でも写真に残っているよ。」
「その後、1979年にファッションコミュニティ109として、東急を含めた12人の共同オーナーでビルを建てることになってね。当時共同オーナーは洋品店が多いからファッションがメインになり、テナントミックスという形で化粧品店やスポーツ用品、飲食店なんかも入ったんだよね。うちは一階に3区画、地下一階に4区画の権利を持っていて、紳士服なんかを売っていて売り上げは好調だったよ。その後1989年にSHIBUYA 109に名前を変えていく中で、ギャル文化と相まって急成長をしていくんだけど、きっかけは”me Jane”と”ロッキー”という地下一階のお店からだったんじゃないかなぁ。」
ロッキーアメリカンマーケットはアメリカをイメージしたお店で、ビルになる前からの老舗洋服店でした。me Jane(ミージェーン)は、一世を風靡したリゾートカジュアルがコンセプトなブランド。あの時代の若者がみんな身につけていたハイビスカス柄が象徴です。98年3月にme Janeが生み出した売上高1億8648万円という記録がまさにSHIBUYA 109の伝説の始まりだったといえます。
「me Janeが売れて、それに感化された他店のスタッフが自分に店の服を着て雑誌社を巡ったり、売り込みに行ってスナップ写真を載せてもらうとか地道な努力をしていたんだよ。109の看板を背負って働いてくれていたスタッフの子は愛情持って自分の店の洋服を着て、子供も大人も差別せず接客して、そうやってカリスマ店員が生まれたんじゃないかな。……まぁ本当の意味でのカリスマは僕だけどね(笑)。」
これから先も変わり続けるのが渋谷
渋谷の黄金期の渦中にいた吉岡さん。生まれも育ちも渋谷で、見てきたのはSHIBUYA 109だけでなく、変わりゆく渋谷そのものでした。
「生まれた病院こそ日本橋だったけれど、そこからはずっと渋谷。宇田川町で育ってね、この年まで住民票が渋谷区を出たことがないよ。渋谷育ちといっても特別なことはなくて、昔は宇田川町は住宅地だったしね。大向小学校(現 神南小学校)を出て、中学は私立だったからセンター街が通学路。学校が遅くなった日はお巡りさんから声をかけられたりなんかしたね。」
「渋谷と109をずっと見てきたけれど、何度も『この辺がピークかな』と思わせて、その上をいくんだよね。必ず想像を超えてくる。コロナの時はさすがに影響も受けたけれど、ここからまた始まるんじゃないかな。集大成を語るにはまだ早いよ。」
コロナも世界的に落ち着きを見せつつあり、このゴールデンウィークは日本各地からの観光客も多く見られました。取材当日は平日でしたが、SHIBUYA 109は多くの人で賑わっていました。
「100年に一度」には踊らされない街づくりを
最後に、渋谷をずっと見てきた吉岡さんだからこそ思う、渋谷の今後についてどんな思いがあるのかお伺いしました。
「100年に一度の再開発というけど、渋谷って常にビルが建て替えられて新しくなっているから、その言葉には踊らされないかな。無理くり建て替えて、無駄に大きくするのはどうかなぁと思うところはあるよね。10坪のお店で2億売り上げてるのが20坪で4億になるわけじゃないでしょう? 下手したら2億すら売れなくなる場合だってある。だからこそ、ただ建て替える、ただ大きくするのではなく、なにか理由を見つける必要があるんじゃないかな。渋谷も大きなビルだらけになって、整い過ぎていくのもなんだか寒々しいと思わない?」
渋谷という街を牽引し続けたSHIBUYA 109。しかしまだ、バトンを渡す時期ではなさそうです。コロナが落ち着き、再開発も終わりが見えてきた今。ECサイトの普及で便利になった反面、外出自粛の反動や人と話して購入することのメリットも見直されつつあります。そんな追い風を背に、これからの渋谷もまた盛り上げていこうといういうのが、SHIBUYA 109。
これまで何度も私たちの想像を超えてきた渋谷が、ここからさらに飛躍し「世界のSHIBUYA」になる。そんな未来を想像させる吉岡さんのお話でした。