渋谷の1日を見守る中華定食店「兆楽」

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渋谷で遊ぶ人、渋谷で働く人、渋谷で暮らす人。
現在渋谷に携わる人、もしくは過去にそんな時期があった人ならば馴染みがあるでしょう。宇田川町のど真ん中で半世紀以上もの間、多くの人々に愛されてきた渋谷のソウルフード”兆楽”そんな兆楽を手がける大絋食品株式会社の代表、藤山光男さんにお話を伺いました。渋谷で生まれ育った藤山さんの”渋谷で長く続けていきたい”という思いがよく伝わる貴重な時間でした。

歴史を遡ると兆楽は橘さんという方によって昭和30年代に創業された大衆中華料理店です。メニューの追加や変更はあるものの料理のジャンルや値段帯は創業から変わっていません。

1番の人気メニューはルースーチャーハン(800円) コロナ禍前は1ヶ月で2000杯も売れていたそう

今回お話を伺った藤山さんのお父様は当時、別の飲食店を何店舗か経営されていたそうで橘さんとも親交があったとのこと。兆楽創業者の橘さんに後継者がいないということで昭和62年に藤山さんのお父様が兆楽を引き継ぐことになったそうです。当時の兆楽は今の広さの半分程度で、半分は焼き鳥屋さんだったことを聞いて私も大変驚きました。平成7年に約3年間の交渉の上、焼き鳥屋部分も買い取り今の広さになったようです。また藤山さんのお父様が所有されていた道玄坂二丁目の店舗(兆楽とは別業態の店舗)も平成14年2月に”藤山恒産第一ビル”として竣工し、その1F部分は兆楽本店となり現在は2店舗体制で運営されています。宇田川町店は夜中まで、道玄坂二丁目の本店は早朝から営業されており、まさに渋谷の24時間を見守ってきた店とも言えるでしょう。(コロナ禍の現在は営業時間は異なる。)

長い歴史の中で客層はかわりましたか?という質問をさせて頂きました。今も昔も年齢層は10代の若者から高齢者まで本当に幅広いそうです。男女比率について尋ねると1980年代1990年代は女性の比率は5%にも満たなかったのが最近では20%を超えてきているそうです。メニューを豊富に揃えることによって女性の支持も徐々に獲得していると分析されてました。またここ数年の間には外国人客も急激に増えているようです。料理内容が一目で分かるように写真を掲載したり英語表記をしたりすることにより日本語が分からない外国人も安心して食事を楽しめるようになっているのです。

店内には料理内容の写真が各所に分かりやすく貼られている

昨今のコロナ禍においては兆楽も例外なく苦しんでおられます。売り上げはコロナ前に比べて約70%もダウン。2011年の東日本大震災の際にも1ヶ月ほど客足がぱったり途絶えた時期があって大変苦しんだそうですが今回はその比ではないとのことです。コロナ禍の打開策として多くの企業が取り入れているUberEatsなどのテイクアウトシステムも最初は検討はされたそうです。しかし「出来立ての料理を食べて欲しい」という思いが強くテイクアウトは断念したようです。兆楽のこだわりを感じることができました。

オープンキッチンのため目の前で素早く調理してくれる様を見学できる。出来立てはとても美味しい!

店内のコロナ対策は万全を記しておられ、とにかく換気を徹底しているとのことです。もともと中華料理屋なので換気は徹底しているが最近では冬でも夏でも窓を必ず2方向空けているので店内は常に新鮮な空気を保たれています。従業員がたくさんいる兆楽ですが未だにコロナ感染者はおらず、換気がしっかりされている店ということで高齢者の方も安心して来店されるそうです。

2021年には常連だったジャーナルスタンダード(人気アパレルショップ)の方の提案でコラボTシャツを販売することになり各所で話題となったのは記憶に新しいです。藤山さんは「うちのTシャツなんて数枚程度売れればいいのかな?」くらいの感覚だったらしいですが蓋を開ければ目を丸くするほどの数字が売れたらしく大変驚かれたそうです。最近ではTシャツを着て来店し、注文したルースー炒飯を片手に自撮りする人が多くいるとのこと。兆楽が多くの人たちに愛されてきたことが証明された出来事だったのではないでしょうか。

大好評だったジャーナルスタンダードとのコラボTシャツ

長く続ける秘訣はなんですか?という質問をしました。今も昔もそしてこれからも変わることがなく貫いていること、それはお客様の財布に優しい兆楽価格を維持し続けることだとおっしゃってました。
1000円以上のメニューはお客さんがリピートしてくれない。
1000円未満のメニューでどれだけ満足して頂くかが勝負。
豊富なメニューで飽きずに週に何回も楽しめる。
これが長く続けるために常にこころがけていることだとおっしゃってました。そして藤山さんは何度も何度も「とにかく我々は渋谷で長く続けたい」と強くおっしゃってました。

半世紀以上兆楽価格を維持

最後にこれからの渋谷はどんな街になって欲しいですか?という質問に対して藤山さんは「我々世代の年配者も足を運びやすい街になって欲しい」と語っていました。
平成に入り、すっかり若者の街になってしまった渋谷。そんな渋谷もとても魅力的ではある一方で年配者が居づらくなってしまっていることも大変危惧されてました。

藤山さん(真ん中)との3ショット

現在渋谷は2027年に向けて100年に一度と言われる大開発の真っ最中です。この開発をきっかけに様々な世代の人にとって居心地の良い渋谷になってほしいと切に願われてました。

実は、今回お話を伺った藤山さんのお兄様は渋谷のセンター街で兆楽より長く存在する三千里薬品の経営者です。シブテナでは近々インタービュー予定ですのでそちらも乞うご期待!!

三千里・藤山雅朗さんの記事はこちら https://shibutena.com/interview/4008/

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