アパレルのオフィスが多く、おしゃれな人が行き来する通りとして名を馳せた公園通り。最近ではシェアオフィスなども増え、より渋谷で働く人たちが根ざす街となっています。そんな公園通りで1番の人気ランチといっても過言ではないのが「陳家私菜」。座席数の多い店内にもかかわらず、ランチ時には大行列。昼夜問わず渋谷で働く人たちの人気スポットです。今回は「陳家私菜」の創設者である陳さんにお話を伺うことができました。
5000円を握り締めて来日、公園で眠る夜も
「『男はつらいよ』という映画が昔から好きなのと、高度経済成長期の真っ只中の自由と希望に溢れた日本に憧れて1988年に日本へやって来ました。その当時はお金もなく、布団とお米、全財産だった現金5000円を握りしめ飛行機に乗り込みました。当時の中国は5000円あれば半年暮らせるのでとても大金でしたが、日本ではその金額では暮らせず、公園で生活をしたこともありました。ホテルのゴミ袋からパンの耳を拾って食べていましたよ。そんなギリギリの生活をして日本語学校に通いながら工事現場で働いて、なんとか学校を卒業。有名ホテルの料理店で皿洗いの仕事を始め、やっと念願だった料理人の一歩を踏み出しました。」
「そこからはひたすら料理研究や料理技術を学び、1995年赤坂に念願の自分のお店を出すことができました。最初はお客さんがこない日もあるほど暇でしたが、本場の中華料理・四川料理を提供し続けることで、少しづつ常連さんも増えました。その中には有名人の方も多くいて、番組の打ち上げなどにも利用してくださりました。あとは当時はブログ、今はSNSなどの口コミなど、いろいろな形でみなさんが応援してくださり、今では7店舗お店があります。」
どんなつらい状況でも、中国に帰ることなど考えず前に進むしかなかったと話す陳さん。数えきれない苦労をしても、その信念は揺らぐことなく、今の成功へとつながっています。そして今も四川料理のパイオニアとして最前線を走る「陳家私菜」です。
こだわり抜いた食材、香辛料、調理法
表は賑やかでも一歩入ると静かな街、渋谷
赤坂の一号店を皮切りに、赤坂二号店、五反田、新宿など7店舗を展開する陳家私菜。じつは渋谷はその中で最後の出店だったそうです。なぜ渋谷だったのか、他の地域を知るが故の渋谷の印象などを聞いてみました。
「ここは元々中華料理屋が入っていたそうで、そのお店が閉店するときに居抜きで入りませんか?という話が来ました。渋谷の街に居る人達は流行に敏感で面白いものが好きなようなので、うちの中華も楽しんでもらえています。若い人が多いのかな?と思ったけれど、老若男女、国籍問わずいろいろな人がきます。」
「表は賑やかだけど、一歩入ると静かな街で、散歩するのも好きです。小さくても個性的なブランドのお店もあって、買い物してみたりね。私は渋谷が好きですよ。」
渋谷でも、もちろん人気店になった陳家私菜ですが、陳さんもこの渋谷が最後のお店かもと話しています。陳さん自らすべてのお店を回って味をチェックしており、今の店舗数が味をキープできる限界なんだとか。もちろんフランチャイズの話もすべて断っているそうです。
7店舗のオーナーとして今も忙しく店舗や仕入先、中国を回る陳さん。どんなに多忙でも、お客さんへの感謝の気持ちを忘れず常に前に進むその姿勢は、目まぐるしく進んでいく渋谷の街の中でも、行き先を見失うことはないのでしょう。そんな大切なことを教えてくれる「陳家私菜」陳さんのお話でした。