65年間スクランブル交差点を見守る「天津甘栗」

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日本一有名な交差点「スクランブル交差点」を駅から渡った先に、“天津甘栗”の看板があるのは見たことがある人も多いはず。じつは65年も前からあの地で甘栗を売り続けている渋谷の老舗なんです。

今回は天津甘栗を経営する藤山産業株式会社、代表取締役の藤山光男さんと、天津甘栗に長年務める橋本正弘さんにお話を聞いてきました。

向かって左手が藤山光男さん、右手が橋本正弘さん

「僕が生まれた昭和33年には、父は渋谷で天津甘栗の商売を始めていたと思います。その前から渋谷で商売をしていて、横浜の知り合いから“甘栗を売ってみないか?”と誘われたのがきっかけだったそうです。当時はめちゃくちゃ売れていたそうですよ! まだスイーツ店などがない時代だったので、デザート感覚だったのだと思います。一番多い時期は都内に10店舗、渋谷にも2店舗ありました」

そう教えてくださったのは、藤山さん。昔から渋谷で天津甘栗や飲食店などを営む藤山産業株式会社の二代目で、幼少期は渋谷で育ち、小さな頃から天津甘栗お店の中で遊んだりしていたそうです。

河北省産の栗

「天津甘栗の“天津”は輸入する際に出荷される天津港から付けられていて、実際の産地は河北省産なんです。そして栗を石焼きにして食するのも、じつは日本の食文化なんですよ。日本人が栗を食べ始めたのは満洲で取れた栗で、それをどう美味しく食べるか、先人たちの知恵があって石焼きになりました。父が商売を始めた頃は、中国で人気のない栗はとても安価で輸入できていたんです。それが今では中国でも人気になっていて、すごく値上がりしました」

近年の栗スイーツブームもあり、売れ行きはここ数年右肩上がりの甘栗。天津甘栗も国内の若者はもちろん、外国人旅行客が多く訪れ購入していくそうです。

美味しさへのこだわりと先人の知恵

全盛期は全国甘栗協会も発足され、50以上の企業が登録されていたそうですが、今は協会も解散。都内でも甘栗の販売店はなかなか見かけなくなりました。それでも、渋谷の駅前という場所で今も愛され続ける天津甘栗。そのこだわりは何でしょうか?

昔から変わらないレトロなパッケージ

「まずは仕入れは河北省の自然溢れる山々から、一年分を一括で仕入れています。そして温度と湿度管理された自社の倉庫で保管。また焼き石も大きさにこだわり、じっくり時間をかけて焼いています。ここ数年はとても栗がよく、とても甘いですよ」

と、橋本さん。大学時代に藤山産業社内の飲食店でアルバイトをしてから、そのまま入社。今も天津甘栗の店長として働いています。

都内目黒区の工場にて

グルグル回る大きな窯で焼かれる栗はとってもしっとり甘いです。焼く際に水飴を撒いているせいなのかと思っていましたが、水飴には“栗をコーティングして水分を逃さない効果”と“栗の艶出し効果”があり、甘さには関係していないとか。これも先人の知恵で、しっかり考えて作られています。

「渋谷に来ると必ず寄ってくださる方や、二世代三世代で通ってくださる方など長く通ってくれる常連さんがすごく多いです。その方々のまた下の世代にまで愛されるよう、長く変わらずこの場所で商売が続けて行けたらと思っています」

大きな石焼きでじっくり時間をかけて作られる甘栗

これからも渋谷で愛される店として

変わらない看板、パッケージの天津甘栗。昭和から平成、そして令和と時代が移り変わり、渋谷を訪れる人も世代も目まぐるしく変化しています。

変わり続けていく渋谷をどう感じているのでしょうか?

「一時は完全な若者の街になっていましたが、ここ最近は落ち着いた大人の街に向かっているような気もします。私たちも幅広い世代の人に甘栗を食べてもらいたいので、嬉しい傾向です」

渋谷の一等地、スクランブル交差点目の前
撮影中もお客さんが後を絶えず忙しい橋本さん

「最近は外国人観光客の多さにも驚かされますね。観光地化していくのもいいですが、スクランブル交差点の目の前で商売している身としては、交差点付近ではたまらずに青信号を速やかに安全に渡りましょうと伝えたいです(笑)」

最後は渋谷の人々の安全で締めてくださった藤山さん。

これからも変わらない味で、渋谷の人たちに愛される店としてあり続ける天津甘栗。その飽きない味は世代を超えて〝年の瀬のご褒美〟として賞味されていくでしょう。

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