大規模な再開発が進み、少しずつ雰囲気が変わり始めた渋谷。それでも“渋谷は若者の街”というイメージを持つ人はまだ多いはず。若者の街を印象付ける一つの要因になっているのが、90年代から2000年代にかけて流行ったレコードやクラブなどといったミュージックカルチャーでした。
そんな渋谷のミュージックカルチャーシーンの中で生まれ、今も多くの若者たちから愛されるアパレルショップがあります。今回は渋谷の中でもカルチャー色の強い宇田川町にある「GROW AROUND」の山崎さんにお話を聞いてきました。
仲間と立ち上げた「GROW AROUND」
「GROW AROUNDを立ち上げたのは1995年で、僕が25歳くらいのときです。18歳からダンスをやっていたのですが、漠然と将来に不安を感じていました。ただ、ブラックミュージックが好きだったので、なにか関わっていたい、そのためにはどうしたらいいのかをいつも考えていましたね。結果、自分でお店をやろうと思い、仲の良かったマイクロフォンペイジャー(※1)のMASAO君と、当時ニューヨークにあったおしゃれなお店をイメージしながら始めました。無国籍通りの奥にあるビルの4階で、お店があるって知らなかったら絶対に入らないような場所でしたね。オープン当初は店内の半分はレコードやCDで、残りの半分をアパレルの販売スペースにしていました。アナログブームもあってレコードがすごく売れて、最初の数年間はニューヨークにレコードの買い付けばかり行ってました。」
「そのうちに手狭になって、2002年にCisco坂(井の頭通りと無国籍通りを結ぶ階段のある坂)のビルの二階に移転しました。路面店のように見える不思議な作りでしたね。2002年と言えば、世界中でHIPHOPやR&Bが盛り上がりを見せた時代で、ブラックミュージックが音楽チャートを独占していました。日本国内でもHIPHOPやR&Bが流行りましたよね。それまで高かったレコードの需要だけでなく、当時の人気アーティストが着用していたキャップやスポーツジャージも人気になった時期でした。本当にたくさんのお客さんやアーティストが遊びに来てくれましたね。振り返ってみると2002年や2003年ってすごく挑戦した年でした、濃かった数年間と言うか。宇田川町のレコード全盛期とぶつかったことや、大流行していたHIPHOPのカルチャーとも密接な繋がりがあった事も大きな後押しになりましたね。後先考えずに突っ走りました。その後、元々路面店をやりたいっていう気持ちもあったので2010年に今の場所に移ってきました。じつは前のビルと今のビルはオーナーが同じで、タイミングよく移動先を紹介してもらえました。縁のようなものを感じますよね。二つのビルの1Fを使っている凄く変わった作りのお店なんです、渋谷を象徴するようなビルなのかなって思ってます。」
渋谷の地でヒップホップカルチャーの洋服といえば「GROW AROUND」と言われるまで名を知らしめ、現在は横浜やお台場、町田などにも出店する人気店となりました。
誰かが嫌な思いをしない店
その風貌からやや不良的なイメージを持たれるヒップホップカルチャー。そんなカルチャーに関わるアパレルをメイン商品として扱う「GROW AROUND」ですが、魅力やこだわりはどこにあるのでしょう?「創業時から今もずっと変わらない僕の考えは“誰かが嫌な思いをしないで欲しい”です。だから常連や友達が溜まって話をしてるお店にはしたくなかった。一般のお客さんからしたら、それって何だか嫌じゃないですか。当時はそういうのがカッコイイと思う人もいたのかもしれないけれど。僕は誰でも入りやすい、怖くないお店にしたかった。その気持ちは今も変わりません。特にショッピングモールなどに店舗を出すようになってからは、普段からうちに来てくれるお客さんばかりではなく、うちを知らない人もフラッときてくれるので、より意識しなければいけないと感じました。」
そう話す山崎さん。そこには創業時から変わらない信念が感じられ、“お客さんを大切にする”という商売における重要なことを守り抜いていました。
「あとは、縁をすごく大切にしています。昔から通っていた渋谷はもちろん、横浜への出店も、僕自身がよく遊んでいた場所だったから縁があったんだなぁと思っています。他にも、先に名古屋進出したアパレル関係の方から“名古屋がいいよ”と聞いて、考え出した矢先に名古屋出店の話が舞い込んできたり。振り返ると、一つ一つの出来事や出会いの縁を感じますね。」
カリスマ店員が流行した2000年代、やはりGROW AROUNDにもお店を代表するスタッフがいて、時代とともに渋谷を盛り上げていました。今も、その伝統を引き継いだスタッフが笑顔で働いています。2000年代は不良的なかっこよさがかっこいいとされていましたが、当時に比べると今のスタッフさんは和やかなかっこよさで、時代とともに変化しているのを感じます。ダンスブームやヒップホップカルチャーが世間一般へ浸透してきたことで、様々な客層への需要が高まっているのでしょう、取材中もスーツの男性が店内を覗きに来ていました。
常に渋谷の変化を見ていたい、感じていたい
じつは山崎さんご自身は生まれは東京の品川区で、渋谷とは長い付き合いなんだそうです。幼少期からの渋谷の思い出を聞いてみました。
「渋谷には小学生の頃から自転車で来ていました。親からは、今でいうセンター街の方はまだ行っちゃダメだと言われていて。今のヒカリエあたりにあったプラネタリウムと映画館に通ったり、あとは単館系の映画館もたくさんあったのでチラシを集めていました。最初は好きな映画のチラシを集めるだけだったのですが、上映期間が終わって手に入らなくなったチラシが売れるってわかって、商売にしていました。今思えば、バイヤーの仕事に繋がる部分もあるんですかね(笑)」
「高校生になってからは、宇田川の方も解禁されて渋谷に服を買いに来ていました。その頃の渋谷は僕にとってファッションの街でしたね。80年代に流行ったDCブランド(デザイナーズ&キャラクターズブランド)という、少量生産のメインのアパレルをマルイやビブレで買っていました。あとは神南にあった渋谷東京堂ってお店にもよく行ってたなぁ。すごくパンチの効いた店で、ラッパーのThe Notorious B.I.G.(※2)が持っているような杖を売ったりしていて、少年心にとにかくかっこいい!!と思っていました(笑)。」
渋谷での思い出は、話出したらキリがなさそうな山崎さん。渋谷への想いが伝わってきます。山崎さんにとって渋谷の街はどんな街なのでしょうか?
「これだけ長く渋谷にいると、もう安心感があります。この年齢になると人が多いところに行きたいとは思わないのですが、渋谷だけはもう特別ですね。常に渋谷の変化を見ていたい、感じていたいです。数ヶ月ぶりに来て“ここなくなってる!”みたいに置いて行かれたくないんです。」
すっかり渋谷の街と一体化してしまっている山崎さん。取材中も道を歩けば知り合いに会うなど、この街の人であることを感じますね。
そんな渋谷人の山崎さんに、この先の渋谷はどうなってほしいかを聞いてみました。
「渋谷の街にはどんどん国際化をしていってほしいです。特に駅周辺は観光地化しても良いと思う。でも、それは駅周辺であって、宇田川町や神南、奥渋は昔ながらの名残が残っているような街であってほしいなって思います。全部なくなるとやっぱり寂しいですからね。」
「渋谷が変わってもGROW AROUNDは変わらずです。特に今の店舗のビルには愛着があるので、あのビルが壊れるまであそこに居たいです。あ、それなら渋谷の中心地にもう一店舗出してもいいかな~。こうやって変化していく渋谷で、我々も新しいことに挑戦し続けていきたいですね。」
日本屈指の若者の街となり、今もなお成長し続ける街渋谷。その基盤には、カルチャーの街として、映画や音楽、そしてファッションが根付いています。そんな渋谷の街と若者と、一緒に“成長”するGROW AROUNDさん、そして山崎さんのお話でした。
(※1)1992年に結成された日本のヒップホップグループ。日本語ラップの初期から活動しており、シーンに大きな影響を与えた。
(※2)1990年代に活躍し、最も影響力にあったアメリカ合衆国ニューヨーク出身のMC、ラッパー。愛称はビギーやビッグなど。