再開発が進み、多くの高層ビルが立ち並ぶ渋谷で、古き良き美しい姿を変えずにひっそりと佇むお店があります。それが「料亭三長」。木造日本家屋が印象的で、建物と呼ぶより屋敷の方がしっくりくるその美しさは息を呑むほど。敷地内にある中庭は優雅に鯉が泳いでいます。
今回は生まれも育ちも渋谷であり、街の移り変わりをその目で見て来た「料亭三長」の三代目高橋千善さんにお話を伺いました。
残すというより、壊すという選択がなかった「料亭三長」
「三長の始まりは明治45年で、祖母の営む『豊澤亭』という芝居小屋だったと聞いています。大正から昭和の初めには渋谷劇場という芝居小屋兼映画館になり、その隣に三長料理店を作った流れで今の料亭になりました。「三長」の名前の由来は、祖母が“三枝”、祖父が“長吉”という名前だったので、そこから取った名前です。『豊澤亭』は道玄坂の上あたり、今はなくなってしまった玉川電車の駅の目の前にあり、当時の写真も残っています。」
「戦争でこの辺りはすべて焼けてしまいました。祖母は、疎開せず渋谷にとどまりました。そして戦争が終わってすぐにこの『料亭三長』の建築にかかったようです。きっと終戦前から構想は練ってたんじゃないかと思います。凝った作りで、大工の遊びがたくさん詰まった粋な建物だと、京都の一級建築士の人や大学教授がおっしゃっています。皆様、是非残してください、と言われます」
そんな歴史ある建物を引き継ぐことになった高橋さん。周りはみんなビルに建て替えて賃貸業務に移行する中で、この建物を残すという選択をしました。
「2007年に相続の関係で、ここをどうするかという問題に直面して、やっぱり生まれ育ったこの建物は残したい……というか、壊すという選択がありませんでした。なので、壊さないで維持するにはどうしたらいいのかを考えました。バックヤードに当たる場所と客間の一部を、この建物の造りはできるだけそのままに、商売してくれるお店を探しました。当方の意図を了解してくれる飲食店が四つ決まりました。その中の一つである『割烹三長』はうちの名前も使っていただきました。内装が良く、料理もおいしく、仕事も丁寧で、有名店になっているようなので、とても嬉しいです。」
「この料亭を引き継ぐと決めてから、どうしたらより長くこのまま保てるか、これから100年先まで、この建物をもたせるにはどうしたらよいか、いつも考えています。ここは地盤がいいから、建物さえしっかり補修すれば保つかと思っています。まぁ100年先まで生きていないから、継いだ人がどうするかに任せるつもりです。」
地域に還元して渋谷の文化を育てていく
祖父母、ご両親とこの地で商売をされ、この地をずっと見てきた高橋さんだからこそ知る、渋谷について聞いてみました。
「小学生の頃は、この辺りは空き地がたくさんあって、よく野球をやっていました。今ライブハウスがある辺りは同級生の材木屋があったり、本当に静かだった。だから、都会で育ったという気持ちはあまりなかったし、そもそも渋谷が故郷なんです。渋谷が変わって来たな、と感じたのは、アメリカ軍に占拠されていた代々木公園が、1964年に返還されたんです。そこから、西武百貨店、丸井、パルコ、109ができて……そうそう!通っていた小学校が東急百貨店になったのもその頃で、その時は渋谷が変わっていくのを肌で感じていました。」
「渋谷再開発の波は、道玄坂を登ってすぐそこまで来ているのはよくわかるし、実際にすぐ近くでも再開発ラッシュです。まぁうちには話が来ないけど(笑)。渋谷がここまで大きくなったのは文化の街だから。今のヒカリエの場所は文化会館があったでしょう。映画館もたくさんあって、Bunkamura、パルコ劇場、文化総合センター大和田、渋谷公会堂、ライブハウスと、沢山の施設があります。これからの再開発も地域の事を考えて、渋谷の文化を育ててほしいと思います。それに、渋谷が育てば必ず自分に戻ってくるとも思います。」
パラスポーツを通して“ちがいをちからに変える街”へ
そんな高橋さんは商工会議所など地域貢献活動などもされています。現在最も注力されているのが「パラスポーツ」。渋谷の街づくりと高橋さんの心が結びついた優しい未来へ向けた活動です。
「パラスポーツをもっと盛り上げたいと『パラスポーツを応援をする草の根運動の会(渋谷)』を発足して、今は代表をしています。渋谷区が掲げる“ちがいをちからに変える街”という理念のもと、障害も一つの個性であり、それらが相まって誰もが共生できる社会を築いていくための活動です。パラスポーツの応援を通して障害への理解を深め、バリアフリー化に貢献する一環として、渋谷を訪れる障がい者の人たちにどう接するかを学ぶという活動もしています。」
「障害を持つ人、そうでない人、みんなが助け合える社会になってほしいと思っています。私だっていつ事故や病気にあうかわからない。その時は身体に障害が残るかもしれないしね。そう思った時に、彼らが一生懸命競技に取り組む姿を見ると勇気を貰えた。そんな彼らの勇姿が見られるパラスポーツを応援しています。」
そういきいきと話される高橋さん。その渋谷を愛する姿勢が多くの人の心を掴み、後援には渋谷区や商工会議所、商店街連盟が加盟、元オリンピアンなどのサポーターも多く、会員数も順調に増えているそう。
渋谷の街に関わり続け、多くの足跡を残す高橋さん。それは先代のお祖母様が戦時中もこの街に残られたという、渋谷を愛する遺伝子なのかもしれません。「三代住めば江戸っ子」といいます。それだけ時間を過ごす事でまるで自分のことのように、地域を考えるようになるのでしょうか。
これからも大きく変わりゆく渋谷の街で、変わらない姿の三長ができる限り長く見たい、そう強く思えるお話でした。