オーナー

奥渋 神山町 魚力3代目・鈴木力さん

公開:  更新:
この記事をシェアする

奥渋にある明治創業の魚屋さん

渋谷駅から歩くこと10分程度にある神山町エリア。

このエリアは近年「奥渋」と言われるようになり、渋谷の駅前とは違った落ち着いた雰囲気で、多くの飲食店や美容室などの店舗が軒を連ねるエリアです。

ここで代々続く魚屋「魚力」を営んでいる3代目の鈴木力(つとむ)さんに話を聞きました。

鈴木力さんは昭和18年(1943年)生まれ。

魚力は明治38年(1905年)に力さんのお祖父様である力蔵さんが大森海岸で創業したのが始まり。

神山町の前は、青山学院大学の近くで魚屋を営んでおられたが、戦争の青山空襲の影響で移転することに。

力さんが5歳の昭和23年の頃に、今の場所に移転しました。

オリンピックとNHKで街が様変わり

当時の神山町の風景は今とは全く異なり、道路以外は全て変わったといいます。

今の緑道の場所には宇田川が流れ、NHK放送センターの場所は、アメリカ軍の住宅であったワシントンハイツがありました。

1948年ごろのワシントンハイツ

小学校は現在の東急本店の場所にあった大向小学校に通い、放課後はこっそりワシントンハイツの中に入って遊んでいたそうです。

大きく街が変わったのは、1964年の東京オリンピックと、1973年のNHK移転のタイミング。

オリンピックによる街の整備で、宇田川が埋め立てられ、ワシントンハイツがあった場所は選手村になりました。

またNHKの関連会社などTV局に関わる会社が増え、TV業界関係者が増えました。

魚力もNHKの料理番組で使用するお魚を納めていたこともあるといいます。

1970年ごろ(予測)の魚力

そんな中で、奥様の発案で1980年代に魚屋の中に食べられるスペースを設けるようになりました。

奥様のご実家は飲食店を営んでいたという経験もあり、この近辺には飲食店が数軒の蕎麦屋など数えるほどしかなく、いわゆるランチ難民が出ていた状態でしたので、食堂をスタートしたようです。

風通しが良い商店街 神山町を次の世代につないでいく

力さんは、商店街の仕事も精力的にされて、商店街の横のつながりを大切にされてきました。

神山町の良さは、大きなビルも少なく、落ち着いた雰囲気だといいます。

代々木八幡から渋谷に繋がる一方通行の道は、どちらの駅から歩いても楽しく通り抜けられる街。

まさに風通しが良い商店街。

次の代の人たちがたくさんお店を出しているが、この世代の人たちが頑張っていってほしいといいます。

商店街として最低限助け合ってはいくけど、まずは自分たちの力で頑張ってほしい。

そのためにも、まずは魚力が引っ張っていきたいと力強くおっしゃっていました。

そんな魚力には力さんの息子さんが4代目としてお店を守っています。

魚力は魚だけでなく、少し小鉢がついて、魚の食べ方も提案しています。

魚力の名物はちょっと変わった注文方法です。

メニューは入り口にかかった発泡スチロール製の札。

お客様がこの札をとって席に持っていくスタイル。

席に座ると、札を裏返してと言われます。札には裏に数字が書いてあって、壁にかかったラッキーナンバーと一緒であれば、好きな小鉢が一つ付くという遊び心たっぷりのサービス。

始めた頃は、雨の日サービスとして当たりの数字をたくさん書いていたが、今は晴雨限らずいつでもたくさんのラッキーナンバーが書いてあります。

私は、銀だらのみそ焼き定食を注文。裏の数字は「3」、ハズレでした。

店舗情報:「魚力」 渋谷区神山町40-4

公開: