先日惜しまれつつ閉店した渋谷東急本店。55年もの長い歴史に幕を閉じました。東急本店が建設されている場所は「大向尋常小学校」という渋谷町立の小学校があり、 花柳街の円山町、商店街の大向通り(現在の文化村通りの一部に相当)、高級住宅街の松濤などの子供たちが通っていました。大向尋常小学校が移転することになり、その場所を東急が買い取って百貨店である東急本店が建設されたわけです。が、元々は違う施設になるはずだったことをご存じですか??
東急が用地を取得した当時は東京オリンピック直前ということでなんとスポーツクラブの建設が予定されていたそうです。当時はあまり多くなかったスポーツクラブ。オリンピックという一大イベントの流れに乗って建設計画が立ち上がったようですが、なぜかそれも頓挫してしまいます。
東急百年史によると東急本店をあの場所に建設した理由は「渋谷のにぎわいがより駅近辺に偏るおそれもあったためであり」と述べています。点ではなく面で街を大きくするために敢えて、駅から距離のある場所に作った、と言う事ですね。実際は渋谷開発のライバルである西武グループの西武百貨店も渋谷に進出が決まったことに危機感を覚えた事も大きな理由の一つだと言われています。
その後、東急グループと西武グループの渋谷開発合戦はし烈を極めます。東急は109、西武はパルコなど若者に魅力的なスポットをいくつも作り出しました。この両社がしのぎを削ったことで、渋谷が唯一無二ともいえる若者の街、そして世界的な情報発信力のある流行のトレンドスポットとして確立されたと言われています。
もし、あの場所にスポーツセンターが出来ていたらどうなっていたのでしょう?東急と西武の開発合戦も大きくはならず、渋谷はもう少しこじんまりとした街になっていたのでは?なんていうお話もあるようです。東急本店が建設されたことで渋谷の街は大きく広く発展したことは間違いありません。考えてみると現在の渋谷を形成する上で歴史的にも非常に重要な百貨店だったのかもしれませんね!