尾崎豊が過ごした街 渋谷 Vol.2

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10代を熱狂の渦に巻き込んだ希代のカリスマアーティスト「尾崎豊」。

彼のルーツが渋谷にあることは前回の「尾崎豊が過ごした街 渋谷 Vol.1」でご紹介しました。

青山学院高等部に通い、渋谷の街を自分の庭にしていた尾崎豊の初期の作品はこの渋谷の街がモデルになっているものが少なくありません。

世界一有名な交差点で作られた曲

「スクランブリング・ロックンロール」は彼自身が生前明言していたようにハチ公前のスクランブル交差点でさまざまな事を考えながら作った曲です。

「自由になりたくないかい?熱くなりたくはないかい?自由になりたくはないかい?思うように生きたくはないかい?自由って一体なんだい?どうすりゃ自由になるかい?」

10代のエネルギーを代弁したかのようなこの歌詞はライブでお客さんと尾崎で声の掛け合いのように歌われていました。恥ずかしながら筆者も若い頃はこの歌詞に魂を揺さぶられたものです。

80年代のスクランブル交差点

名門高校での生活が生み出した名曲

尾崎豊の楽曲の中でも大変知名度の高い「卒業」。

この曲は渋谷四丁目にある青山学院高等部での経験が基になったと言われています。いわゆる名門高校ですが、尾崎豊は教師とうまくいかずに退学という道を選びました。当時の学校の管理主義や教師の理不尽な対応は尾崎に高校中退を決断させるのに十分だったようです。それらの経験から書き上げた荒れた歌詞の内容は学校を批判するというのが核心ではなく体勢という支配からの卒業を意味したのではないか?と筆者は考えています。過激な内容で当時は「不良ソング」などと揶揄されましたが、実際に校舎の窓ガラスを割る行為などを行う若者が出現したことで、尾崎自身は後にそのような影響について「罪の意識を感じる」と述べていたようです。

中退直前の尾崎豊

渋谷にゆかりの深いアーティストということが改めて感じられたところで尾崎豊の渋谷に関するお話は今日はここまで。もう少し渋谷に関する楽曲があるので後一回くらい紹介出来そうです、次回もご期待ください♫

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