今年は雨があまり降らない梅雨だと思っていましたが、本日観測史上最速で梅雨明けが発表されました。シブテナがある渋谷区も例に漏れず凄まじい暑さです。本格的な夏のスタートに今日は少しひんやりするお話を。
皆さんは渋谷の「人喰い松伝説」をご存知ですか?
渋谷区神南に位置する北谷稲荷神社に祀られる「宇田川出世弁財天」と繋がるちょっと怖い都市伝説です。
まずは境内掲示よりそのまま記載した文章をご覧ください。
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宇田川は道玄坂下で渋谷川と合流している。
合流点近くの宇田川河畔に、江戸の頃より枝ぶりも見事な松の大木があった。
ここは旅の者や荷を運ぶ農民たちの憩いの場所で地蔵が一基あり、人々の信仰を集めていた(この地蔵は宇田川町十番地に現存する宇田川地蔵)。
昭和五年十一月東京市は区画整理のため、この松を取除く作業をさせたところ、関係者の中から負傷者が多く出て、“恐しい松”“「ご神木」”と騒がれた。そこで道玄坂の人々が弁財天と龍神の祠を造り、松と共に神南町にお祀りをした。松は移植したのち枯死したが、弁財天の効験はあらたかで、地元道玄坂町や近隣の人々から出世弁財天と崇められご信仰が盛んになった。
戦災の後、国鉄用地内に遷されたが、今回当社境内に遷座された。
渋谷の商業神として、又渋谷区発展並びにご家内繁栄のためご信奉される由来を記します。
昭和五十年七月二十日 渋谷郷土研究会 宇田川弁天講
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分かりやすく言うと
「江戸時代から現在のハチ公辺りにすごく大きな松がありました。側にはお地蔵様があり、当時の渋谷に住んでいた農民達や旅人が一休みする心安らぐ場所でした。昭和に入り、区画整理の為に松の木を切り落とそうとしたら怪我人が続出したので、神様として祀り、神南町に移動したところ騒ぎは治りました。戦争で国鉄用地内に今まで保管されていましたが、昭和五十年に北谷稲荷神社に戻されましたよ。」というお話です。
実はこのお話、近代稀に見る信憑性の高い都市伝説で、当時の新聞にも掲載されたことにより日本中に知れ渡ったお話だといいます。区画整理以前の明治大正時代にも何度か切り落とそうという計画はあったようですがその度に不可解な事故が発生していた為、実際は「人喰い松」とも呼ばれたそうです。なんとも恐ろしい名前ですね。
皆様は、どう思われますか?境内掲示にもある祠は北谷稲荷神社に今も祀られていますし、冒頭のお地蔵様は今も現存する宇多川地蔵です。
物的な証拠がしっかりと残るこの伝説。当時の新聞の写真は見つからず、決定的な証拠としてはもう少し足りないところではあるのですが筆者はこういう伝説に浪漫を感じてしまいます。ちなみに、宇田川出世弁財天が位置する北谷稲荷神社は、NHK放送センターや代々木公園のすぐそばに位置しています。日本古来の神社とは一線を画す作りは、都会と共存する神社の新しい形をイメージさせます。素敵な場所ですのでお近くに行く際は是非お立ち寄り下さい。
渋谷という日本を代表する大都会にある都市伝説、信じるか信じないかは、あなた次第です。。。